天津 怡和洋行(Jardine Matheson、ジャーディン・マセソン)大楼 旧跡 中国 留学 天津 生活 終了後、弾丸旅行記

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天津 怡和洋行(Jardine Matheson、ジャーディン・マセソン)大楼 旧跡



天津 怡和洋行(Jardine Matheson、ジャーディン・マセソン)大楼 旧跡

怡和洋行(Jardine Matheson、ジャーディン・マセソン)は、 1867年に天津事務所を開設しました。 天津の四大洋行(四大洋行:怡和、太古、仁记、新泰)の中で、 最大規模の会社でした。

天津 怡和洋行(Jardine Matheson、ジャーディン・マセソン)大楼 旧跡2

この建物は、 1921年に建てられたものです。



天津 怡和洋行(Jardine Matheson、ジャーディン・マセソン)大楼 旧跡3

怡和洋行(Jardine Matheson、ジャーディン・マセソン)の前身は東インド会社で、
元は貿易商社。
1832年、
スコットランド出身のイギリス東インド会社元船医で貿易商人のウィリアム・ジャーディンと
ジェームス・マセソンにより、中国の広州(沙面島)に設立された。
中国語名は「怡和洋行」。
当時、広州は広東システム体制下、
ヨーロッパ商人に唯一開かれた貿易港であった。
ウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンは
陳舜臣の小説『阿片戦争』では重要なキャラクターとして登場している。

設立当初の主な業務は、
アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。
同じロスチャイルド系の香港上海銀行(HSBC)は、
ジャーディン・マセソンなどが
香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行である。

清とイギリスとの間で1840年から2年間にわたって行われたアヘン戦争に深く関わっている。
アヘンの輸入を規制しようとする清朝政府とイギリスの争いが起こった際に、
当時のアヘン商人の一つであるジャーディン・マセソン商会のロビー活動により、
イギリス本国の国会は9票という僅差で軍の派遣を決定した。

1867年から天津事務所を開設し、
華北でも海運業を展開する。
この頃、唐廷枢(後に李鴻章の下で洋務運動を推進)が買弁責任者として金銭の管理、
物資の購入、海運の開設などを行っていた。
以降、事業規模が拡大し、1881年に天津支店に格上げ。
1921年に社屋の「天津ジャーディン・マセソン商会ビル」を
イギリス租界地の維多利亜道(現在の解放北路157号)に建設した。
http://ja.wikipedia.org/

天津 怡和洋行(Jardine Matheson、ジャーディン・マセソン)大楼
中国天津市和平区解放北路157号


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